「(はとこの)A議員に応援のメッセージをいただきました」
インターネットのニュースサイトを見るともなく見ていたら、おかしな日本語に遭遇した。いや、遭遇というのは当たらない。遭遇とは思いがけなく出会うこと、不意に出くわすことだ。変な日本語はそこここに転がっているから、それらが目や耳に入ってくるのはいつものことで、予期せぬ出来事などではない。「ほら、まただ! おかしな日本語が多すぎる」とでも書いておくべきだろうか。
選挙に立候補した人が上のように言っていた。正確には、書いていた。その人が話すのを聞いたことがないが、選挙演説中に同じ表現を使っていたことは想像に難くない。候補者の言う「A議員にメッセージをいただきました」のA議員とは、著名な国会議員だ。一般の新人立候補者にとっては雲の上の存在だと思うが、二人は苗字も同じ、はとこなのだ。A議員と候補者の祖父同士が兄弟、親同士がいとこという関係だ。候補者は「いただきました」と謙譲語を使って、A議員を高めている。
日本語の敬語では、例外を除き、身内は高めないことになっている。例外は皇族だ。たとえば皇太子の子が自分の父母のことをほかの人に話すときに、「両殿下がおっしゃいました」と言うのがそれだ。一般人の敬語では、「両親が申しました」と言う。
一般人でも、家庭によっては子が親に敬語を使い、「お父様、今日はどちらへお出かけですか」と尋ねることもあろうが、外部の人に話すときには「父は出かけております」と言う。「お父様はお出かけになっていらっしゃいます」とは言わないのが、日本語の敬語の使い方だ。
この候補者は、「A議員をはじめ、多くの議員の皆様が応援に駆けつけてくださいました」とも書いている。ここでもやはり、はとこのA議員に対して、「駆けつけてくださいました」と尊敬語を使っている。筆頭に、しかもA議員だけ名前を出している。わざわざ応援に来てくれたほかの議員のことは「多くの議員の皆様」と一括り。A議員はほかの議員とは別格だと言っているわけだ。
A議員と赤の他人である一般的な候補者なら、まだそれでもいい。「大変お忙しい中、A先生が私の応援に駆けつけてくださいました」と大物議員の名前を出すのは自分の選挙に有利でもある。
小学生も心得ていた謙遜の精神
以前紹介したが、80年前の小学校6年生の国語の教科書に、次のように書いてあった。「父・母・兄・姉・おじ・おば等は、目上の人であるから、それを相手とする時、敬っていうのである。しかし、一たび他人の前へ出た場合には、自分のことを謙遜していうのと同じく、自分の身内の者のこともまた謙遜していう」。誤用例として、「おとうさんがよろしくおっしゃいました」や「おかあさんは、今日おいでになりません」などが挙げられている。
(文部省『【復刻版】初等科国語〔高学年版〕』「敬語の使い方」昭和17~18年発行、デジタル版、令和2年)
80年の間に日本語にも変化が生じ、とりわけ語彙が(文法も少し)変わってきているが、敬語の使い方の原則は変わっていない。「自分の身内のこともまた謙遜していう」のが日本語の敬語の特徴の一つであり、これこそ日本人のものの考え方、謙譲の精神だ。自分自身はもちろんのこと、自分の側の人間のことを決して高めない。
今ではあまり使われなくなったが、「愚妻(ぐさい)」「荊妻(けいさい)」「愚息(ぐそく)」「豚児(とんじ)」「愚弟(ぐてい)」その他、家族を表す謙遜語も存在する。親にとってどんなに自慢の息子でも、改まった手紙を認める際には「愚息」と書く。たとえ、「うちのケント君は頭がよくて見た目もカッコよくて、とっても優しいの。それに、可愛いこと言うのよ。ママと結婚したいって。うふふ」と思っていてもだ。
記者が改悪した、皇族の正しい敬語
十数年前のことだ。秋篠宮家の長女、眞子内親王殿下(当時)が二十歳を迎えて記者会見を行った。私は会見を見ていないが、会見を伝える記事は読んだ。そこに、眞子さんの言葉として、「両親には厳しく育てていただいて、感謝しております」とあった。これはおかしい。皇族にだけ許される敬語の使い方をするのであれば、「両殿下には厳しく育てていただいて」となるが、「両親には」と始めたら、「育ててもらって」でなければならない。
会見の全文が掲載されているページを見た。眞子さんは、「両親には厳しく育ててもらって」と、日本語を正しく使っていた。自分を育てた人、父母、身内を高める「いただく」などという謙譲語は使っていなかった。記者が勝手に変えたのだ。記者は、「もらう」ではなく「いただく」を使わなければいけないと考えたのだろうか。なぜ? 日本語の敬語のルールを無視してでも、丁重そうに聞こえる「いただく」のほうがいいと思ったのか。学校を卒業する際に恩師について、「先生にはときに厳しく指導していただいて…」と言うのならいざ知らず。
その後、何度か、日本人の大学生が「両親に〜していただきました」と言うのを聞いた。授業で敬語を扱ったあとで、「大学の面接でそう言ってしまいました。間違っていたんですね。知りませんでした」と言いに来た学生もいた。「いただく」は「もらう」の敬語だから、丁寧に話さなければならない面接のときに当然のように使ったという。
日本語の敬語では身内を立てない。「両親に〜していただきました」だと、両親を高めることになってしまう。「両親が召し上がりました」と同じようなものだ。「ああ、さすがにそれは言いません」と学生は笑った。
日本語の上手な外国人女性が、「夫(日本人)のご両親に送っていただきました」と言っていた。正しくは「夫の両親に送ってもらいました」だが、外国人だから、まっ、いいか。日本語の敬語では身内を立てない。