「食べてください」の尊敬語は?と学生に聞かれた
目上の人に「食べてください」と言いたいときどのように言ったらよいか、という質問を受けたことがある。外国人の日本語学習者ではなく、日本人の大学生からだ。もちろん、全く見当がつかないということではない。「いろいろな人がいろいろな言い方をするので、どれが正しいのかわからなくなりました」と、学生は困った顔をした。
正しいか正しくないかはひとまずおいておいて、よく聞く言い方や聞いたことのある言い方を、ほかの学生たちとともに挙げてもらった。それが次の10通りの言い方だ。標準語であること、文末を「ください」とすること、という条件を出さなければ、この何倍もの表現が集まったことだろう。
1. 召し上がってください。
2. お召し上がりになってください。
3. お召し上がりください。
4. 召し上がられてください。
5. お召し上がりになられてください。
6. お食べください。
7. お食べになってください。
8. 食べられてください。
9. いただいてください。
10. いただかれてください。
さて、標準語として正しいのはどれかというと、「食べる」の尊敬語「召し上がる」を「〜てください」の形にした1だ。「敬語は正しくシンプルに」をモットーとする私としては、学生に尋ねられたら、この「召し上がってください」だけ覚えればよいと答えたい。
二重敬語、三重敬語
2、3、4は二重敬語だ。2と3は尊敬語「召し上がる」をさらに「お〜になる」という尊敬の形にした「お召し上がりになる」、4は尊敬語「召し上がる」にさらに尊敬の助動詞「れる」をつけた「召し上がられる」。二重敬語はわずかな例外を除いて誤用だ。その例外の一つが2と3で用いられている「お召し上がりになる」であり、慣用ということで許容されている。4の「召し上がられる」は慣用と認められておらず、誤用と見なされている。
ちなみに、「お〜になる」の「〜ください」の形は「お〜になってください」だが、「になって」を省略することができる。「お話しになってください」と「お話しください」は同じものだと考えてよい。
5の「お召し上がりになられる」は、二重敬語「お召し上がりになる」の「なる」に尊敬の助動詞「れる」をつけたものだ。言ってみれば三重敬語だが、なにもここまでしなくても、と言いたくなる。
謙譲語を尊敬語のような形にしても、本物の尊敬語にならない
6と7は「食べる」を尊敬の形「お〜になる」にしたもの、8は尊敬の助動詞「られる」をつけたもので、形だけを見れば間違いとは言えない。しかし、現代語「食べる」になる前の「食ぶ」は、「食う」「飲む」の謙譲語だ。現在の「いただく」に当たるわけで、「いただく」を「おいただきになる」「いただかれる」という形で用いることはない。元は謙譲語だったと知ってしまうと、「お食べになる」「食べられる」に違和感を覚え、尊敬語として使いづらくなる。敬語動詞「召し上がる」が立派に存在するのだから、無理して使うことはない。
9と10の「いただく」は言うまでもなく謙譲語だ。厳密に言うと、謙譲語II、別名丁重語。上に述べたとおり、10のように「いただかれる」と尊敬語の形にしても、尊敬語もどきにしかならない。
大学生は悩む。1から10までの敬語や「敬誤」を、おじさん、おばさんたちがドヤ顔で使っている。これは正しいのだろうか、大丈夫だろうか、と悩むこともないようだ。年長者が使っているのだからたぶんこれでいいのだろうと思いつつ、学生は一抹の不安を覚える。
大人たちは、できれば謙虚に学び直して、若い人の手本となるような敬語を使いたいものだ。