「させていただく」(1)2013年に発表した文章

大学の入試問題で使われた文

これまでに出版した6冊の本(うち1冊はそれ以前に出したものの文庫化だが、テーマを絞ったこともあり、元の文章の15%強削除した。また、誤りを訂正するために少々加筆した)に書いた文が、中学、高校、大学の入学試験の問題や学習塾の教材などに使われることがある。

先日紙類を処分しようとしていたら、自分の書いた文が載った大学の入試問題が出てきた。「させていただく」について書いたものだ。「させていただく」は過去の本すべてで取り上げているが、どの本にどんなことを書いたかよく覚えていない。

この入試問題で使われたのは2013年に書いた文章だが、冗長な部分があるかと思えば(これは今でもそう。成長していない!)、説明不足の箇所もあり、引き写すのに若干ためらいを覚える。

念のために本をひっぱりだして原文も確認したが、間違いではないが特に好ましいとも思えない言い方を、これが正しいのだと書いているところもある。最後のほうの、「校正は二回までにしてくださるようお願いいたします」の「くださるよう」がそれだ。現在の私は、「くださいますよう」しか使っていない。

ただし、この部分の載っている「『させていただく』以外の表現を工夫する」という見出しのついた文章は、幸か不幸か、入試問題で使われていない。その前の「『させていただく』ではなく、丁重語『いたす』を使うのである。」で終わっている。

文体や表記などに、今の私ならそうは書かないという箇所はいくつか見出されるが、内容、すなわち「させていただく」に関して私が考えていることは、今もほとんど変わらない。が、最近一つ考えついたことがある。それは、「『させていただく』は方言であり業界用語だ」というもの。近いうちに、「させていただく (2)」として記事にしたい。

『失礼な敬語』(光文社新書、2013年、41-55ページ)に書いた「させていただく」

「させていただく」を使いこなすのは難しい

謙譲の表現というと「させていただく」を思い浮かべる人は少なくないと思うが、これは使いこなすことが相当難しい表現である。どのように難しいかは後述するとして、もし、今、目の前に使い方のよくわからない機械があったら、私たちはどうするだろうか。一見簡単に動かせそうだが、実は高度な技術が要求されるという代物だ。

どうしてもそれを使いたい場合は、必死になって操作方法を覚えるだろう。その能力を身につけて初めて、機械をうまく扱えるようになる。使用者の技術が未熟だと、誤作動が生じ、事故が起きる。

「させていただく」は「取り扱い注意」と大きく書かれた機械に似ている。ただし、機械と異なるのは、使い方を学習すればするほど、実際には使用しにくくなるという点だ。ある目的のためには有効に働くが、そのチャンスはあまり多くないから実際の出番は少ない、という複雑な機械が「させていただく」なのだ。

「させていただく」には、大きく分けて二つの用法がある。厄介なことに、この二つは相反する性質を持っている。

一つ目は、「厚かましくて申し訳ないと思いつつ、私は〜する。ありがたいことに、それをあなたが許可してくれたから」という気持ちで用いるものだ。まだ許可が下りていない行為について述べるときには、「させていただきたいのですが」「させていただけますか」という願望や問いかけの形になる。

もう一つは、相手の意向など全く考慮せずに、「私は〜する」と一方的に宣言するものである。控え目な態度で相手に許可を求める一つ目の使い方の対極に位置し、言葉づかいは丁寧でも自分勝手なことをするわけだから、表現と行為とのギャップが大きい。

このように、「させていただく」は両刃の剣である。単なる「する」の謙譲語ではない。自分の行為を控え目に言うときはいつでも「させていただく」が使えると思っている人がいるが、それは勘違いだ。

そして、この勘違いは危険を伴う。なぜなら「させていただく」は、お腹の中で相手をバカにしながら表面上は下手に出るときなどにもよく使われるからだ。謙虚な表現だと思い込んで「させていただく」を多用すると、本人の意向と裏腹に、失礼な人という烙印を押されかねない。

「させていただく」は許可や恩恵への感謝の表現

まず、「させていただく」が、動詞「する」の使役形「させる」と、「〜てもらう」の謙譲語「〜ていただく」からなっていることに注目したい。動詞の使役形の使い方のうち、人に何かをすることを強いるとか仕向けるというのはよく知られている。「完璧に仕上がるまで何度もやり直させる」「飲めないと言っている人に無理に酒を飲ませるものではない」といった使い方だ。しかし、ここで問題にする使役の働きはそれではない。

そうではなくて、本人がしたがっていることをしてもよいと認める(否定形の場合、認めない)というときに用いる使役形である。「娘を外国旅行に行かせる」「医者からダイエットを命じられた甘党の夫に、私は一か月に一度しか甘いものを食べさせないことにした」といった使い方だ。

「〜てもらう」は言うまでもなく、「消しゴムを貸してもらう」「英語を教えてもらう」「パンを買ってきてもらう」の「〜てもらう」である。私もしくは私の身内に消しゴムを貸す人、英語を教える人、パンを買ってくる人がいる。その人から受けた恩恵への感謝の込められた表現だ。その人物が自分にとって目上の存在であれば、「〜ていただく」となる。

したがって、「させていただく」を用いる際には、させる誰か、すなわち、人が何かをするときに許可を出す誰かと、することを許してもらう誰か(たいていは、私)がいなければならない。それがはっきりとしている次のような場面では、「させていただく」が真骨頂を発揮する。

上司「ずいぶん顔色が悪いけど、どうかしたの」
部下「今朝からひどい頭痛で、薬を飲んだんですけど、ひどくなるばかりなんです」
上司「今日はもう帰ったほうがいいんじゃないの。家に帰って寝るとか、病院に行くとか」
部下「そうですか。そうさせていただけると助かります。ありがとうございます」
(翌日)
部下「昨日早退させていただいたおかげで、ゆっくり休むことができました。もうすっかりよくなりました。お心づかい、どうもありがとうございました」

これは、親切な上司が早退を勧めてくれた場合だが、もちろん、部下のほうから上司に早退の許可を求める際にも、「させていただく」を使うことができる。
「頭痛がひどいので、申し訳ありませんが、今日は早退させていただけますでしょうか」

これらは、意味から言うと許可と恩恵、文法的に見れば使役と謙譲という、まさに正統派の「させていただく」である。さらに、依頼を受けた場合に用いる「させていただく」もこの用法に含めることができる。自分がするのが当然だろうとは思っているが、遠慮もあってやり始めないでいたら、誰かが依頼という形でぽんと背中を押してくれた、といった状況で使用される。

たとえば、パーティーの席上で、参加者がスピーチをしているとする。自分もするべきだと思いながらも、どうも前に出ていく勇気がない。そんなときに主催者の一人が近寄ってきて、「まだスピーチなさってませんよね。ぜひお願いします」と耳打ちする。そのとき、「させていただく」を使うことができる。
「では、私も一言ご挨拶させていただきます」

話すことを勧めてくれた人への感謝の表現なのだから、会場にいるほかの人々に言う必要はない。「させていただく」は、許可や依頼への感謝を込めて用いるものである。これが「させていただく」の一つ目の用法だ。

慇懃無礼な「させていただく」を自己主張の手段として用いる

もう一つの「させていただく」は、相手に失礼であることを十分に承知しながらあえて用いる。意図的な慇懃無礼である。
会社で何か嫌なことがあって、それに耐えきれなくなった人が上司に言う。
「会社をやめさせていただきます」

意味は、「こんな会社やめてやる!」と同じだが、そのような捨て台詞を吐くのではなく、わざわざ謙譲表現「させていただく」を使うのである。これは、低姿勢な言い方でありながら、決定事項を一方的に通告している。受け取る側は、表向きと実際の意味の矛盾に困惑し、不快感も抱く。それが話し手のねらいでもある。相手を不愉快にさせるために用いているのだ。

「させていただく」はもちろん敬語なのだが、敬語は相手を苛立たせもし、怖がらせもする。店員のミスに腹を立てた客が、「責任者呼んでこい」と怒鳴るのと、落ち着いた低い声で、「支配人にお目にかかりたいのですが」と言うのとでは、後者のほうが店員を震え上がらせる。敬語とはそういうものでもある。

「やめさせていただきます」と相手の了解を求めることなく申し渡すのは、「させていただく」の本来の姿ではないのだ。次の例も同様だ。

「今まで黙って拝聴しておりましたが、ご意見に賛同いたしかねますので、私も一言言わせていただきます」
「その件につきましては、これまでに何度も申し上げました通り、お断りさせていただきます」

言葉は丁寧でも言っていることはきつく、相当強い自己主張になっている。
自らやめる意思を表明するにしても、「やめさせていただけますか」と疑問形にすると、一つ目の「させていただく」になる。それは次のような場合だ。

会の役員を引き受けたけれども、家庭の事情で続けられなくなった。ほかの役員や会員に迷惑をかけることになるからすまない気持ちでいっぱいだが、どうすることもできない。やめることを許してほしい……。そういった気持ちで用いる「やめさせていただきたいのですが」や「やめさせていただけますか」は、一つ目の用法、いわば正統派「させていただく」である。

二つ目の用法、すなわち、失礼な相手に対して、それを上回る「失礼のお返し」をしようとわざと必要以上の敬語を用いるのが、戦略として行う慇懃無礼である。

無用な「させていただく」が多すぎる

「させていただく」を使う必要がない、または使わないほうがよいケースも挙げておこう。
寄付金を募っている団体に宛てたメッセージに、次のようなものがあった。
「少額ですが、送金させていただきました」

団体の活動に賛同してお金を送った人が書いたものだ。「送金した」の丁寧語は「送金しました」。丁重に言いたい場合は「送金いたしました」。自分の行為を謙遜して述べようとしたのだろうが、ここに「させていただく」は必要ない。相手から「お願いします」と依頼されたことを自分が実行したのである。送金を許可してもらったわけではない。

「頼まれたからお金を送ったのではない。自分の意思で、送りたいと思ったのだ。送ってやったぞ、というエラソーな言い方に聞こえるのを避けるために『させていただく』を使って低姿勢に述べたのだ」と本人は言うかもしれない。しかし、相手を立てる低姿勢な言い方が「送金いたしました」なのである。「する」の謙譲語II別名丁重語「いたす」は、そのために存在する。

一方、使うと滑稽に聞こえる「させていただく」もある。それはたとえば新入社員の自己紹介だ。
「この春、A大学を卒業させていただきました」

本人は「卒業した」を謙虚に述べたつもりだろうが、これでは、単位が足りなくて卒業は無理だと言われたけれど教授に泣きついたらお情けで単位をくれた、と解釈されても文句は言えない。卒業させてくれた誰かがいること、そして、自分がその人に感謝していることが「させていただく」によって示されているのである。

この場合も、「送金いたしました」と同様に「いたす」を使って「卒業いたしました」と言えば、その場にいる人々を立てた謙虚な表現となる。自分が卒業したということを表すのに、これ以上丁寧な言い方はない。

また、若い女性タレントが自分のブログに、ファンへのメッセージとしてこんな表現を用いていたのを見かけたことがある。
「皆さんにご報告があります。私、このたび、入籍させていただくこととなりました。驚かせてしまってごめんなさい」

「入籍する」というのは「結婚する」「婚姻届を提出する」と必ずしも同じ意味ではないのだが、この議論は別の機会に譲るとして、ここで問題なのはやはり「させていただく」である。

自分の行為を控え目に述べる際には「させていただく」を使う、と思っているのだろうが、突然の発表を読者に詫びているところを見ると、ファンの意思とは関係のないできごとのようだ。この件に関して、ファンからの許可も依頼も恩恵も受けていない。その場合、「させていただく」は使えない。「結婚することになりました」「入籍することとなりました」でよい。

「いたす」を用いて「結婚いたします」「入籍いたします」と書いてもよい。若いタレントからファンへのメッセージなら、わざわざ改まった言い方をしなくても、丁寧語で「私、結婚します」と書けばよいのではないか。そのほうが若者らしく、ファンとの距離も近く感じられる。

ほかにも、「お二人と知り合わせていただいのは三年前のことで」とか、企業に抗議の電話をかけたことを報告するのに、「A社に電話させていただきました」と述べる人がいる。どちらも「させていただく」は不要である。謙譲語なしの、「お二人と知り合ったのは三年前のことで」「A社に電話しました」でかまわない。

もし「お二人」に対する尊敬の念を表したいのなら、「会う」の謙譲語の「お目にかかる」を用いて、「お二人に初めてお目にかかったのは」と言えばよい。「知り合う」には謙譲語がない。謙譲語として使用することがないからだ。「知り合う」とは互いに相手を知ることであり、したがって対等の関係で用いられる。目上の人をこちらが一方的に知る(存じ上げる)ことはある。目上の人に会う(お目にかかる)こともある。しかし、日本語の敬語では、目上の人と「知り合う」ことはないのだ。

また、「A社に電話させていただきました」と言うと、A社を敬っていることになる。抗議の電話をかけた話をしているのだから、話し手が立てたいのはA社ではなく、目の前の聞き手である。その場合、「A社に電話いたしました」と言う。

大学生が出席カードに、「先週は風邪を引いたため、欠席させていただきました」と書いてくることもある。これも、「欠席いたしました」でよい。事情によっては、「欠席せざるを得ませんでした」「欠席を余儀なくされました」「欠席するしかありませんでした」という書き方もあろうが、欠席した事実を伝えるだけなら、表現にそこまで凝ることもない。

しかも、「先週は欠席させていただきました」と書いた学生から、前の週に欠席の連絡があったわけではない。「休んでもいいですか」と聞かれてもいない。そもそも、受講者の多い大教室での講義では、予め欠席の連絡をする必要もない。授業で発表することにでもなっていれば別だが、そうでなければ、事後報告でかまわない。もっとも私の担当する授業では、事後報告も特に要らない。

したがって、休んだ翌週の出席カードに前の週のことを書かなくてもよいのだが、一言書いておこうと思った学生は礼儀正しいのだと思う。だが、「させていただく」を使ってはいけない。許可なく休んだときは「させていただく」ではなく、丁重語「いたす」を使うのである。(※ 入試問題に使われたのはここまで)

「させていただく」以外の表現を工夫する

自分で決めたことを低姿勢に述べるつもりで「させていただく」を連発するのも考えものである。筑波大学教授の高橋祥友さんが「耳障りな言葉」として書いている(2012年6月30日東京新聞)。

「各章は原稿用紙三十枚以内とさせていただきます」
「締め切りは十月末とさせていただきます」
「著者校正は二回とさせていただきます」
「本の完成は翌年三月とさせていただきます」

共著者が集まった企画会議における、出版社の人の言葉だそうだ。高橋さんは、「ここにいる私たちは皆執筆に承諾しているのだから、すべてに『いただく』を付ける必要はありません。『してください』で十分ですよ」と言ったそうだ。

「〜です」のへりくだった形が「〜とさせていただきます」だと勘違いしている人は少なくないが、自分が決めたことを相手に伝達するとき、または相手の了承を得たいと願うときに「させていただく」を使うと、前述した二つ目の用法に聞こえる恐れがある。話者の意思に反して、慇懃無礼になってしまうのである。

「させていただく」を一度も使わなくても、言いたいことを伝えることができる。相手への敬意は全く失われない。むしろ、「させていただく」よりはるかに謙虚な言い方になる。それはたとえば次のようなものだ。

「各章は原稿用紙三十枚以内でご執筆ください」
「締め切りは十月末です」または、伺いを立てる形にして、「十月末までに原稿をお送りいただけますか」
「校正は二回までにしてくださるようお願いいたします」(※ 現在私は「くださるよう」ではなく、「くださいますよう」を推奨している)
「完成は来年三月を予定しております」

ところで、私自身は「させていただく」を季節の変わり目に一度使用する程度に抑えようと心がけている。そのつもりがなくても結果的に慇懃無礼になるのを避けたいのと、語彙の豊富な日本語には同じような場面で使える表現がいろいろあるからだ。

「させていただく」の使用に自己規制をかけることは、言い回しを工夫するよい訓練になる。とはいうものの、年に四回の使用というわけにもいかず、月に四回ぐらいはつい使ってしまい、反省している。

以上、自著の引用終わり。

作成者: マチルダ

マチルダこと野口恵子です。昭和27年(1952年)11月に愛知県瀬戸市で生まれ、東京で育ちました。現在は埼玉県在住。日本語とフランス語を教えています。著書に、『かなり気がかりな日本語』(集英社新書)、『バカ丁寧化する日本語』『失礼な敬語』『「ほぼほぼ」「いまいま」?! クイズおかしな日本語』(以上光文社新書)などがあります。このブログでは主として日本語の敬語について書いていますが、それ以外の話題に及ぶこともあります。どうぞよろしくお願いいたします。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です