余計な「を」を入れてしまう
2004年に、私は初めて本を出した(集英社新書『かなり気がかりな日本語』)。「新種の謙譲表現『を入れ』」という項目を立てて、「お会いをいたしました」「お待たせを申し上げました」「ごらんをいただきました」などの誤用例を挙げ、この不要な「を」について考えてみた。
比較的新しい誤用だと思ったので「新種」と書き、「いたす」「いただく」「申し上げる」などとともに用いられるので「謙譲表現」と書いた。あれから20年。その後出版した本の中でも多少触れてきたが、相変わらず多くの人が使っている。そして、この「を入れ」現象は謙譲表現だけでなく、あちこちで見られるようになった。たとえば、次のような言い方だ。
×1対0で日本が勝利をした。(サ変動詞「勝利する」)
×先生が到着をされた。(サ変動詞「到着する」)話し手/書き手はこれを尊敬表現として用いている。
×代表に選出をされた。(サ変動詞「選出する」)話し手/書き手はこれを受身形として用いている。
「勝利した」「到着された」「選出された」と正しく用いる人のほうが多いとは思うが、「を入れ」が口癖のようになっている人も少なくない。一度ついてしまった悪い習慣はなかなか直らない。改めるには本人の強い意志が必要となるが、「を入れ」を誤用だと思っていなければそんな気にもならないわけだ。
サ変動詞「○○する」に「を」は入らない
「勝利する」「到着する」「選出する」は、サ変(サ行変格活用)動詞だ。サ変動詞って何?と言う人のために、新明解国語辞典(三省堂)の巻末に書いてある文を引き写しておこう。
(引用始め)基本的には「する」の一語であるが、現実には字音語と複合して用いられることが殊の外多い。その際語によっては「…ずる」と濁ることもある。(引用終わり)
口語動詞活用表の「サ行変格活用」の欄には、サ変動詞の四つの型「する」「愛する」「参ずる」「対決する」が載っている。そして、「愛する」「参ずる」「対決する」の型のサ変動詞がそれぞれ複数挙げられている。
本記事で問題にしているサ変動詞は、漢語の名詞に「する」をつけて動詞として用いる「対決する」の型だ。そのほか、「外来語+する」もある。元の言語では動詞である「ゲット」「フィット」「カット」「マッチ」などに「する」をつけて日本語の動詞として用いるものだ。
「対決する」「勝利する」「到着する」「選出する」「ゲットする」「フィットする」「カットする」「マッチする」などのサ変動詞は、「○○する」全体で動詞として用いられるものであり、真ん中に「を」は入らない。次に述べるような特別な場合を除いて、「○○をする」の形では用いられない。
「を」が入るのはどんなときか
サ変動詞「掃除する」「勉強する」の本来の使い方は、「部屋を掃除する」「英語を勉強する」だが、「部屋の掃除をする」「英語の勉強をする」という言い方もできる。このときは「を」が入る。
「○○をする」は、「○○を行う」「○○をやる」とだいたい同じ意味になる。したがって、「する」を「行う」や「やる」に置き換えることが可能な場合は「を」を入れることができると考えればよいだろう。
なお、親しい人と話すときや独り言を言うときなどに、「英語勉強しなちゃ」とか「英語の勉強しなくちゃ」とかのように「を」が抜けることがある。これは「早くご飯食べて学校行きなさい」と同じで、話し言葉における助詞の省略だ。改まった場でこのような言い方はしない。
「着席」という漢語の名詞がある。「する」をつけると、サ変動詞「着席する」になる。「着席」とは「席に着くこと・椅子などに座ること」だ。「を」を入れて「着席をする」と言いたくなってしまったら、「着席を行う」「席に着くことをする」「椅子に座ることをする」といった言い方ができるかどうか考えてみるといい。
「発車する」「参加する」「完成する」「開店する」「開催する」「離陸する」「スタートする」「ストップする」「セーブする」「リセットする」など、挙げ始めたらきりがないほどサ変動詞の数は多い。漢語とカタカナ語以外に、「値引き」「値下がり」のような和語が「する」の前に来ることもあるが、「漢語の名詞+する」のサ変動詞を使う機会が非常に多く、その分、「を入れ」も目立つことになる。そのほかの「を入れ」は、冒頭に述べた謙譲表現におけるものだ。
「を」があったほうが丁寧だ、という誤解から生じた「を入れ」
「早くご飯食べて学校行きなさい」をきちんとした日本語にすると、「早くご飯を食べて学校に(または、学校へ)行きなさい」となる。きちんとした日本語では、助詞を省略しない。伝達内容は同じでも、日本語話者は、「あの映画見た?」「あの映画見ました?」「あの映画を見ましたか」「あの映画をごらんになりましたか」などを使い分ける。「を」を入れたほうが丁寧だというのは、この例では確かにそうだ。
しかし、サ変動詞や謙譲表現を用いる際には、その思い込みを頭から振り払ったほうがいい。大いなる勘違いだからだ。20年前に書いた「を入れ」の例を再度記す。「会った」「待たせた」「見てもらった」の謙譲表現もどきだ。
×お会いをいたしました。
×お待たせを申し上げました。
×ごらんをいただきました。
下は、→を追って右へ行くほど丁重になる。普通の言い方から敬意の度合いの高い表現まで並べてみたが、最初から最後まで、どこにも「を」は入らない。「を」を入れてはいけない。
会った→会いました→お会いしました→お会いいたしました
待たせた→待たせました→お待たせしました→お待たせいたしました→お待たせ申し上げました
見てもらった→見てもらいました→見ていただきました→ごらんいただきました
外国人学習者と日本の政治家が同レベル?!
「を入れ」がほぼ習慣になっているユーチューバーが、動画の中で言っている。
×日曜日の夜遅くお集まりをいただきまして、ありがとうございます。
「お集まりをいただきまして」から敬語の要素を取り除くと、「集まりをもらって」となるが、そのような日本語は存在しない。存在するのは、「集まってもらって」だ。そこからスタートして、敬意の度合いの高い「お集まりいただきまして」に到達するというわけだ。
もっとも、このユーチューバーが常に「を」を入れているかというと、そんなこともない。
×今からチェックアウトをいたします。
○今、ホテルをチェックアウトいたしました。
上は「を入れ」だが、下は正しい。「ホテルを」のすぐあとに「チェックアウトを」が来るのはおかしいと気づいた、というより、無意識のうちに素早くチェック機能が働いたのだと思う。
しかし、チェック機能が働かず、あるいは、自らチェックしようとせず、平気で「○○を××をする」と言う人もいる。政治家が次のように言っていた。
×このたび、大臣を拝命をいたしました。
×自衛隊を派遣をいたします。
初級レベルの外国人日本語学習者も、次のように言っていた。
×部屋を掃除をします。
×日本に来る前に、1か月間、日本語を勉強をしました。
初級レベルの外国人学習者と同じ間違いを、日本の政治家が犯している。