「お問い合わせをいただく方」って、誰のこと?
2月初旬、首都圏に大雪の予報が出た日のニュース記事。雪対策の備品を買い求める多くの客が訪れた自動車用品店の広報課員が話す。
「前週と比べチェーンは4倍、スタッドレスタイヤは2.5倍に販売数量が急増している。今日は特に慌ててお問い合わせをいただく方が多い」
取材に応じた広報課員の言葉として、カギカッコつきで書いてある。カギカッコの中は発言をそのまま書く決まりになっているが、これはそうしていない。広報課員は「です・ます」を使って話したに違いないが、そうは書かれていない。「前週」というのも本人がそのとおり言ったのか、本当のところはわからない。「今週」の前の週のことは、普通、「先週」と言うと思う。
一方、後半の「今日は特に慌ててお問い合わせをいただく方が多い」は、文末を除いてほぼ聞いたとおりに書いているものと思われる。なぜなら、現代日本人が敬語で話すときに必ずといっていいほど登場する「いただく」が現れ、しかも誤った形で用いられているからだ。このようなおかしな日本語を、より適切なものに直す記者もいようが、この記事では訂正されていない。
ここで使われている敬語は、「お問い合わせ」の「お」(尊敬の接頭辞)、「もらう」の謙譲語「いただく」、それに、「人」の尊敬語「方」だ。敬語部分を普通の言い方にして文を書き換えると、「今日は特に慌てて問い合わせをもらう人が多い」となる。
「問い合わせをもらう人」「お問い合わせをいただく方」とは誰のことか?! 広報課員が言いたいのは、問い合わせる人が多い、問い合わせてくる人が多い、問い合わせをする人が多いということだ。そもそも、「問い合わせ」はあげたりもらったりするものではないから、「問い合わせをもらう」「お問い合わせをいただく」という言い方はない。
「いただく」が好きでたまらなくても、ここはぐっとこらえよう
「問い合わせてもらう」および、それを敬語にした「お問い合わせいただく」という言い方は存在する。しかし、問い合わせてくる人が多いという意味のことを言うのに、「〜もらう」「〜いただく」の出番があるとは思えない。
「大勢のお客様からお問い合わせいただいておりますが、もう在庫がない状態で…」「多くのお客さんから問い合わせてもらっているが、もう在庫がない…」のような言い方は可能だが、この文脈で「〜いただく」「〜もらう」が本当に必要なのか。
広報課員は、たとえば次のように言ってもよかった。
今日は特に冬用タイヤについてのお問い合わせが多くなっております。
今日は特に降雪時の走行に関するお問い合わせが多いです。
この状況で「いただく」は使わなくていい。どんなに「いただく」がお気に入りでも、ここはぐっとこらえて、正しい日本語、すっきりした日本語で話そう。
尊敬語の文になじまない言葉
元の文は「今日は特に慌ててお問い合わせ…」となっていたが、訂正文に「慌てて」は入れなかった。目上の人の行為に使いにくい言葉だからだ。「急いで」くらいの意味で使ったのだろうが、「慌てる」や、それに似た意味の言葉「慌てふためく」「びっくりして落ち着きを失う」「狼狽する」などは、敬語の文になじまない。
「先生は急いでいる」は尊敬語にして使うことができるが、「先生は慌てている」は尊敬語にしにくい。
先生は急いでいらっしゃいます/お急ぎです。
?先生は慌てていらっしゃいます。
「逆上する」や「怒鳴る」などの尊敬語は、形としては存在するが、実際に用いることはまずない。
?先生は逆上なさいました。
?先生は逆上されました。
?先生はお怒鳴りになりました。
?先生は怒鳴られました。
上の四つの文は尊敬語として実に正しい形をしているが、意味を考えると、尊敬の対象である先生を敬って述べている感じがしない。「怒鳴る」を尊敬の「お〜になる」の形にした「オドナリニ…」は滑稽な印象しか与えないし、尊敬の助動詞「れる」をつけた「怒鳴られる」は受身形と取られかねない。先生が誰かに怒鳴られた?
これらの言葉を尊敬語として使うことは避けたい。「急ぐ」はプラスでもマイナスでもないが、「慌てる」はややマイナスイメージの言葉だ。「腹を立てる」も尊敬語にしにくい。「腹をお立てになる」が尊敬語ではあるが、「腹(はら)」が上品に聞こえないからといって「お腹(おなか)」に変えるわけにはいかない。尊敬語で言うとしたら「先生はご立腹です」になるだろうか。漢語を使うと、改まった印象を与える。そして敬語は、改まった場面で使用される。
「殴りかかる」「罪を犯す」「泣き喚く」「いじめる」「這いつくばる」「誹謗中傷する」「立ち小便する」「キレる」「試験に落ちる」「ヒステリーを起こす」など、尊敬語にして用いることのない、もしくは尊敬語にしづらい言葉はほかにもたくさんある。「慌てる」はこれらほどではないが、尊敬する人物の行為にはやはり使いにくい。