「敬語の使い方」(80年前の小学校国語教科書より)

小学校6年生が習う敬語

「敬語の使い方」の冒頭部分を書き写す。

(引用始め)文化の進んだ国、教養の高い国民にあっては、礼儀を重んじ、ことばづかいをていねいにすることが、非常に大切なことになっている。特に、わが国語には敬語というものがあって、その使い方が特別に発達しているから、ことばづかいをていねいにするためには、ぜひとも敬語の使い方をよく心得ておかなければならない。
まず、相手の人に対して尊敬の意を表すために、特別なことばを、われわれは常に用いていることに気づくであろう。相手を「あなた」というのが、すでに敬語である。また、相手や目上の人の動作を述べるのに、「いらっしゃる」とか、「めしあがる」とかいうのも、それである。
相手を尊敬するためには、自分のことを謙遜していうのがわが国語のいき方で、これも敬語のうちに入る。自分のことを「わたくし」というのが、すでに謙遜したことばであり、「行く」「食う」「する」も、「まいる」「いただく」「いたす」などというのが普通である。(引用終わり)

文部省『【復刻版】初等科国語〔高学年版〕』「敬語の使い方」昭和17〜18年発行、デジタル版、令和2年

二人称「あなた」と動詞「食う」

80年前は「あなた」が敬語だと見なされていたことや、「食べる」ではなく「食う」が普通の言い方だったことがわかり、興味深い。

現在、「あなた」はほとんど使われず、使われるとしたら、同等の立場の者、もしくは下の者に対してだ。目上の人に「あなたは」などと言うのは失礼きわまりない。

また、「食う」には複数の使い方がある。「メシ食った?」は上品ではない言い方と見なされ、「食い逃げ」「食い意地が張っている」などはマイナスイメージの言葉だ。「食いしん坊」は食い意地が張ってよく食べる人のことを指すが、特にマイナスイメージというわけでもない。「立ち食いそば」はプラスでもマイナスでも上品でも下品でもない普通の言葉だ。また、「お食い初め」となると古くから行われている伝統行事の名称であり、この「食う」にマイナスの要素は一切ない。

「あなた」と違って「食う」の評価は定まっていないと言えるが、かつて普通に使われていた「食い放題」は「食べ放題」に変わり、「食わず嫌い」のことも「食べず嫌い」と言う人が増えてきた。マイナスイメージが浸透してきたようだ。

「おとうさん、どこへおいでになりますか」

80年前の教科書に例として挙げられている「いらっしゃる」「めしあがる」「まいる」「いただく」「いたす」は、今も同じように使われる尊敬語、謙譲語だ。欲を言えば、尊敬語に「なさる」も入れておいてほしかった。謙譲語のほうには「行く」と「食う」に加えて「する」の例も挙げているのだから、尊敬語も足並みを揃えるという意味で。

ほかにもいくつもの文例が掲げられている。その一部を紹介する。尊敬語の例として、「決して御心配くださいますな」「おとうさん、どこへおいでになりますか」「おばさんは、どうなさいます」、謙譲語の例として、「もう十分にいただきました」「私がご案内申しましょう」「お志、ありがとう存じます」など。

これらも時代を感じさせる表現だ。現在このような敬語を使う小学生がどれくらいいるだろうか。もっとも、「おとうさん、どこへおいでになりますか」に関しては、家族間の言葉遣いは家庭によって異なるため、「パパ、どこ行くの?」「おやじ、どこ行くんだよ?」から「お父様、どちらへいらっしゃいますか」までいろいろあるとは思う。

父に直接話すときと、外部の人に父のことを話すときの言葉の使い分け

再び、教科書から抜き書きする。

(引用始め)父・母・兄・姉・おじ・おば等は、目上の人であるから、それを相手とする時、(…)敬っていうのである。しかし、一たび他人の前へ出た場合には、自分のことを謙遜していうのと同じく、自分の身内の者のこともまた謙遜していうのである。(引用終わり)

そして、誤用例と正しい言い方とが併記されている。→をつけたのは引用者。

おとうさんがよろしくおっしゃいました。→父がよろしく申しました。
おかあさんは、今日おいでになりません。→母は、今日はまいりません。
ねえさんは、お仕事をしておいでです。→姉は、仕事をしております。

過剰敬語に注意!

さらに、敬語の使い過ぎを戒めている。

(引用始め)度を越すと、かえってばかていねいになったり、また柔弱に聞こえたりする。それに、なんでも「御」や「お」をつけさえすれば敬語になると思ったり、敬語を使いさえすれば礼儀になると考えたりするのは、大きなあやまりである。敬語の使用は、礼儀にかなうとともに、常に適正であること、真の敬意、すなわち敬う真心がことばに現れることが、最も大切である。(引用終わり)

同時期に発行された『やまとごころ』という本の中にも、同じようなことが書かれている。ラジオ番組で話したことを起こしたもののようだ。

(引用始め)なんでも「御」をつけさえすれば敬語になると考へるのは笑止な話です。最大級な敬語を使ひさえすれば敬意が表せると簡単に考へる如き、頗る教養の浅さを示すものであります。敬語の使ひ方にはよほど心せねばならぬと考へます。(引用終わり)

島津久基『やまとごころ』「心の敬語」成部堂、昭和17年、復刻電子版、令和4年

「教養の浅さを示す」などと手厳しいが、これが真の日本人らしい敬語の使い方だということだろう。揉み手をしながら満面に笑みをたたえて相手に近づいていくことと、相手を敬うこととはイコールではない。

 

作成者: マチルダ

マチルダこと野口恵子です。昭和27年(1952年)11月に愛知県瀬戸市で生まれ、東京で育ちました。現在は埼玉県在住。日本語とフランス語を教えています。著書に、『かなり気がかりな日本語』(集英社新書)、『バカ丁寧化する日本語』『失礼な敬語』『「ほぼほぼ」「いまいま」?! クイズおかしな日本語』(以上光文社新書)などがあります。このブログでは主として日本語の敬語について書いていますが、それ以外の話題に及ぶこともあります。どうぞよろしくお願いいたします。

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