尊敬語のつもりで謙譲語を使う誤り+表記の話

尊敬語もどきは尊敬語ではない

「先生がお話しされておりました」のような文をよく目にする。それ以上に、よく耳にする。「先生が話していた」の尊敬語のつもりだと思うが、「お話しされて(お話しする)」も「おりました(おる)」も尊敬語ではない。この二つは異なる種類の誤用であり、一言で言うと、「お話しされる」は尊敬語もどき、「おる」は謙譲語II(丁重語)だ。

尊敬語もどきとはどういうことなのか。「お〜する/ご〜する」は謙譲語Iだ。「その件につきましては、私のほうからお話しします」「では、私がご説明します」のように用いる。「お〜する/ご〜する」の「する」を尊敬語の「される」にすれば、謙譲語が尊敬語に変身するのか。残念ながら、変身しない。尊敬語っぽく聞こえなくもないけど、元の形は謙譲語だよね、ということだ。部分的なお直しで美しく変身しようとしても、この場合は無理だ。

「話す」の丁寧語は「話します」、尊敬語は「お話しになります」、謙譲語は「お話しします」、そして、「お話しされます」が尊敬語もどきだ。ほかの例を挙げると、「どうかしましたか」が丁寧語で、「どうかなさいましたか」が尊敬語、「どうかいたされましか」が尊敬語もどきだ。がんもどきはおいしいが、尊敬語もどきはいただけない。

「お話しされる」「ご出席される」のような尊敬語もどきを尊敬語に昇格させるいくつかの方法のうち、二つだけ紹介する。一つは「お〜になる/ご〜になる」の形にするというもの、もう一つは、「お/ご」無しの「〜れる/〜られる」の形にするというものだ。たとえば、「先生がお話しになる/先生が話される」「先生がご出席になる/先生が出席される」。

謙譲語は尊敬語の代わりにならない

「いる」の謙譲語II(丁重語)「おる」の使い方の例を挙げると、「お父様はご在宅でしょうか」への返答としての「父は出かけております」。「来る」の丁重語の「まいる」は、「お客様、山田はまもなくまいります。恐れ入りますが、もう少々お待ちくださいませ」のように用いる。

丁重語をそのまま使って、「先生はどちらにおりますか」「先生は何時ごろ戻ってまいりますか」「お客様、どういたしましたか」と言うことはできない。「先生はどちらにいらっしゃいますか」「先生は何時ごろ戻っていらっしゃいますか」「お客様、どうなさいましたか」のように、尊敬語で言おう。丁重語は尊敬語ではないのだ。

謙譲語II(丁重語)だけでなく、謙譲語Iのほうも尊敬語として(もちろん誤用だ)使われてしまうことがある。「先生が詳しくご説明してくださったので、よく理解できました」「お客様、課長の山田にお会いしたいとのことですが、山田は出張中でして…」の「ご説明する」「お会いする」が謙譲語Iだ。

「先生が詳しくご説明くださったので」「山田にお会いになりたいとのことですが」と言えば尊敬語になる。謙譲語Iをうっかり尊敬語として使ってしまい、そのことに気づいたものの言い直す機会を逸してしまった…そんなときは、相手が敬語にうるさい人でないことをひたすら祈るしかない。

動詞「話す」と名詞「話」、「皆」と「みんな」の読み方と書き方

ここで少し、表記について述べておく。誤用例として挙げた「お話しされる」は「お話される」と書かれることもある。

動詞「話す」の漢字部分は「はな」と読む。「話します/お話しになります/お話しいたします/お話しいただきました(=話してもらった)/どうぞお話しください」など、どのような形になっても、送りがな、この場合は「し」がつく。したがって、「お話される」は二重の誤り(文法と表記)を犯していることになる。

一方、名詞の「話」は「はなし」と読み、「話をする」と言えば、動詞の「話す」と同じような意味になる。細かいことを言うと、「話をする」と「話す」は意味や使い方にずいぶん違いがあるのだが、それについては別の機会に取り上げることにする。

「話をする」を「話しをする」と書く人もいるが、現行のルールでは、名詞の「話」に「し」は送らない。ちなみに、「話をする」を尊敬語にすると、「お話をなさる/お話をされる」となる。

表記の話題をもう一つ。「皆んな」という表記を頻繁に目にする。当初、私は「みなんな」としか読めない!と喚いていた。「皆」を「み」と読むのか?! ありえない! 現行のルールでは、「皆」の読み方は「みな」で、「みんな」の場合はひらがなで書くことになっている。ところが、パソコンやスマホで「みんな」とか「minnna」と入力すると、「皆んな」と変換されるのだ。困ったことだ、世も末だ、と私は嘆いていた。

しかし、あるとき、敬愛する著述家の文章の中に「皆な」が何度も出てくるのを発見した。書かれたのは今から90年近く前。ふりがなはなかったが、「みな」と読ませるのだと思う。そのとき以来私は、表記はある程度自由でいい、個人の裁量に任せてもいいと思うようになった。この著者が書いているのなら、「皆」を「み」と読むのもアリだ…と、単純な私は結論づけた。

かつて、オーストリアの首都ウィーンを、標準ドイツ語Wienの発音に近い「ヴィーン」と書くべきだと主張する作家がいた。そこまでこだわる必要があるのかなぁ、と私は思っていた。「ヴィーン」と書いてあった場合、ほとんどの日本人は「ヴィーン」ではなく「ビーン」と発音するだろうし、だいいち、「ウィーン」にしたところで、日本語における発音は「ウィーン」でも「ウイーン」でもどっちでもいい。すっかり忘れていたそんなことを、「皆んな」の件で思い出した。

作成者: マチルダ

マチルダこと野口恵子です。昭和27年(1952年)11月に愛知県瀬戸市で生まれ、東京で育ちました。現在は埼玉県在住。日本語とフランス語を教えています。著書に、『かなり気がかりな日本語』(集英社新書)、『バカ丁寧化する日本語』『失礼な敬語』『「ほぼほぼ」「いまいま」?! クイズおかしな日本語』(以上光文社新書)などがあります。このブログでは主として日本語の敬語について書いていますが、それ以外の話題に及ぶこともあります。どうぞよろしくお願いいたします。

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