「もらう」の謙譲語「いただく」
「いただく」は「もらう」の謙譲語であると同時に「食べる・飲む」の丁重語だ。謙譲語のほうの「いただく」を「〜していただく」「お〜いただく」「ご〜いただく」などの形で用いる際に、種類の異なる複数の誤用が見られる。今回取り上げるのは助詞の間違いだ。
誤りを含む文の頭に「*」をつける。間違いだと断言できないまでも、おかしいと思われる文の前には「?」をつける。誤りのない文を列挙する場合、「・」をつける。
*A先生が英語を教えていただきました。
この文は明らかに日本語の文法ルールを無視している。話し手が言いたいのは、私もしくは私の身内や仲間がA先生に英語を教えてもらった、ということだから、「先生」のあとの助詞は「が」ではなく「に」でなければならない(この文では「から」も可能)。「もらう」が敬語の「いただく」になっても、助詞は変わらない。
「A先生が」で文を始めたら、文末は「くれる」の尊敬語「くださる」になる。「A先生が英語を教えてくださいました」。これがごく自然な形だ。
「いや、話者の意図はそうじゃない」と言う人がいるかもしれない。「A先生がほかの誰か、たとえばB先生に英語を教えてもらった、と話者は言いたいのだ。だから『いただく』でいいんだ」。はたしてそうだろうか。答えはノーだ。自分を低めることで相手を立てる謙譲語を、話し手にとって目上の存在であるA先生の行為に用いることはできない。A先生に向かって直接、「先生はB先生に英語を教えていただいたんですか」と尋ねたりしたら、温厚なA先生は顔には出さないが、「ええ、そうなんですよ」と答えながら、内心、たぶんムッとしている。
二方面への敬語
助詞の問題とは関係ないが、少し書いておきたいことがある。それは、二方面への敬語についてだ。話者にとって目上の存在であるAが目の前にいる。そのAとの話の中にBという人物が登場する。Bは話者にとってはもちろんのことA にとっても目上の存在だ。そんなときに、話者はAの行為に謙譲語を用いるのだ。たとえば、学校の事務職員または学生が、教員Aに向かって次のように述べる。
A先生、明日、(大御所の)B先生がおいでになることはご存じだと思いますが、先生、恐れ入りますが、B先生をご案内して差し上げてくださいませんか。もちろん私もお供いたします。
話し手は、A先生の行為に謙譲語「ご案内して差し上げる」を使っている。同時に「くださいませんか」と尊敬語も使っている。A先生の行為に謙譲語を用いることによって大御所のB先生を高め、A先生に対して尊敬語を使うことによってA先生を高めている。つまり、AB両先生を立てることになる。これが二方面への敬語と呼ばれるものだ。
しかし、現代日本語において、二方面への敬語を正しく使いこなしている人がどれだけいるだろうか。また、二方面への敬語を使わなければならない状況がどれだけあるだろうか。それ以前に、この敬語のことを現代日本人はよく理解しているのだろうか。「それって、古文の話でしょ」と言う人もいようが、「えっ、何、それ? 聞いたことない」と言う人も少なくないのではないか。
現在、目上の人の動作を表すのに、尊敬語を使おうとして誤って謙譲語を使う人がたくさんいる。
*先生が詳しくご説明してくださいました。
*部長、お客様がお見えです。部長にお会いしたいそうです。
二方面への敬語でも何でもない、ただの誤用だ。「ご説明する」「お会いする」は謙譲語だ。これでは「先生」と「お客様」を低めることになり、敬語ではなく失敬語になってしまう。「お客様」「お見えです」とお客を高めておいて、次の瞬間「お会いしたい」と突き落とすのはいかがなものか。お客が言った「部長にお会いしたいんですけど」をそのまま使っちゃったのかもしれないが、これはちょっとまずい。尊敬語にしよう。
・先生が詳しくご説明くださいました。
・部長、お客様がお見えです。部長にお会いになりたいそうです。
尊敬語と謙譲語の使い分けに混乱が見られる現在、二方面への敬語のような高度なテクニックを要する表現を誤りなく使うことが難しくなってきている。よりいっそう混乱を招くだけではないだろうか。
「先生、恐れ入りますが、B先生をご案内して差し上げてくださいませんか」の場合、二方面でなく、目の前にいるA先生に対して尊敬語を用いて、「先生、恐れ入りますが、B先生をご案内くださいませんか」と言えばいいのではないだろうか。確かにこの言い方だと、(その場にいない大御所の)B先生を高めてはいない。しかし、もちろん低めてもいない。目の前にいるA先生を立てる。これでいいのではないかと私は思っている。
「誰々が何々してくださる」と「誰々に何々していただく」
「いただく」を用いる際の助詞の問題に戻ろう。「先生に教えてもらった」と助詞を正しく使っている人が、「もらう」を「いただく」にすると、つまり敬語を使おうとすると、奇妙な間違い、実に初歩的な助詞の間違いを犯す。「A先生が英語を教えていただきました」の「が」はおかしい、と気づく人は多いと思うが、次のような文ではどうだろうか。うっかり見過ごしていないだろうか。自分でもつい使っていないだろうか。
*A先生が、全くの初心者の私に手取り足取り教えていただきました。
*本日は、大勢のお客様があいにくの雨にもかかわらずお越しいただき、心より感謝しております。
*皆さんが沿道から声援を送っていただいたので、がんばるしかないと思って走り切りました。
すべて、「いただく」を「くださる」にすれば正しい文となる。
・A先生が、全くの初心者の私に手取り足取り教えてくださいました。
・本日は、大勢のお客様があいにくの雨にもかかわらずお越しくださり、心より感謝しております。
・皆さんが沿道から声援を送ってくださったので、がんばるしかないと思って走り切りました。
「A先生」を主語にして、「A先生が」で文を始めるのは自然なことだ。「お客様が」「皆さんが」も同様で、それらを主語とした「誰々が何々をする」というごくノーマルな文を作るつもりで、当人は話を始めている。
ところが、主語と動詞の間に「全くの初心者の私に手取り足取り」のようなやや長めの言葉が入ってくると、「A先生が」で始めたこと、主語が「A先生」だったことを忘れてしまう。そして、文末をつい「いただく」にしてしまう。統計をとったわけではないが、現代日本人が最もよく使う敬語は「いただく」だろう。日本人は謙虚だから、謙虚な「いただく」が好きなのだ。春はあけぼの、花は桜木、敬語は「いただく」…
誤用例として挙げた文も、「A先生が、全くの初心者の私に手取り足取り教えて」までは完璧な文だ。ところが最後がまずい。「いただきました」はいただけない。ここは「くださいました」一択なのだが、無意識のうちに大好きな「いただく」が出てきてしまう。使用頻度が高くなると、当然のことながら、間違いを犯す危険性も高まるというわけだ。
次のような質問があるかもしれない。
質問:「いただく」を使いたい場合は、助詞を「に」にすればいいですか。
答え:はい、二つ目と三つ目の文は、「に」にすれば「いただく」が使えます。
・本日は、大勢のお客様にあいにくの雨にもかかわらずお越しいただき、心より感謝しております。
・皆さんに沿道から声援を送っていただいたので、がんばるしかないと思って走り切りました。
しかし、一つ目の文には通用しない。
*A先生に、全くの初心者の私に手取り足取り教えていただきました。
「全くの初心者の私」を別の形にして、どこか別のところに置く必要がある。えーと、えーと、と時間をかけてあれこれ考えるのも悪いことではないが、「A先生が…教えてくださいました」とするだけで、自然な日本語、正しい日本語、シンプルな日本語が完成する。