レル敬語の普及
「会う」の尊敬語には「お会いになる」と「会われる」がある。このブログですでに述べた通り、菊地康人著『敬語』(講談社学術文庫、1997年)に倣って、「お〜になる」をナル敬語、「〜れる」をレル敬語と呼ぶ。以前書いた本の中で、私は「ナル尊」「レル尊」という略語を自分で作って使用したことがある。
現在多くの人が使っているのはレル敬語のほうだ。ナル敬語より敬意の度合いが低いが、作り方がナル敬語より簡単であること、皇族についての記事でメディアがもっぱらレル敬語を使用するようになったこと、以前から西日本でよく使われていたこと(「言葉は天気と同じで西から東へ移動する」という事実がある)などから、いわゆる標準語を話す人々の間でもレル敬語の使用が目立つようになった。
レル敬語に慣れてくると、ナル敬語に対して、丁寧すぎる、古めかしい、年寄りくさい、上品ぶっている、といった印象を抱くようになる。もっとも、「召し上がる」「おっしゃる」「いらっしゃる」など、敬意の度合いから言えばナル敬語と同等の尊敬語に対しては、そのような印象はさほど抱かないようだ。
「召し上がる」に関してはむしろ敬意が足りないと感じるのか、「お召し上がりになる」という二重敬語を使用する人も少なくない。それ(「もっと敬意を!」)にさらに拍車がかかると、三重敬語の「お召し上がりになられる」になる。「食べる・飲む」を尊敬語にし、さらにナル敬語にして、もう一つおまけにレル敬語にするというチョー厚化粧だ。二重敬語の「お召し上がりになる」はすでに慣用となっているが、そこで止まらずに「なる」を「なられる」にしてしまう。これは、レル敬語の普及による好ましくない影響の一つだといえよう。
レル敬語、受身、可能
「召し上がる」の元の動詞「食べる」「飲む」、「おっしゃる」の元の動詞「言う」の尊敬語として、レル敬語「食べられる」「飲まれる」「言われる」も用いられている。これらは受身と同じ形だ。「食べられる」は可能形でもある(ら抜き言葉使用者は「食べれる」と言う)。受身として使う一例を挙げておこう。
食べられる「あとで食べようと思って冷蔵庫に入れておいたケーキを妹に食べられた」
飲まれる「酒を飲むのはいいが、酒に飲まれないように気をつけなさい」
言われる「人に言われるまで、服を裏返しに着ていることに全く気づかなかった」
「いらっしゃる」の元の動詞「行く」「来る」「いる」のうち、「行く」と「来る」については、レル敬語「行かれる」「来られる」を使用する人が多い。多いというより、日本人の大学生に聞いてみたところ、もっぱら「行かれる」「来られる」を使用するという答えが返ってきた。「いらっしゃる」を使うのは「いる」の尊敬語としてだけだそうだ。
「行かれる」「来られる」は尊敬語のほか、受身、可能の形でもある。受身の例は次のようなものだ。
行かれる「約束の時間に少し遅れて行ったら、誰もいない。先に行かれてしまった。少しぐらい遅れてもいいよ、みんなで待っているから、と言ってくれたのに、どういうこと?!」
来られる「テストのための勉強をしているとき、友達に遊びに来られた。テスト前じゃなければ歓迎するんだけど」
「行かれる」は、少し古い言い方ではあるが可能としても用いられる。現代日本語では「行ける」が標準的だが、
「電車もバスもほとんど通っていないので、車がないとどこにも行かれない」
「あそこなら何度も行っているから大丈夫、方向音痴の私でも一人で行かれる」
などの言い方もできる。
「来られる」は「来る」の“正しい”可能の形だが、ら抜き言葉「来れる」を使う人にとっては尊敬の言い方でしかないようだ。以前日本人の大学生に、「来ることができるか」の意味で「来られますか」と聞いたとき、彼女は私に、「やだー、先生、敬語なんか使わないでくださいよー」と言った。
「来れますか」と聞けば誤解を与えなかったのだろうが、私はら抜き言葉を使わない。レル敬語もあまり使わない。「来る」の尊敬語としては「いらっしゃる」「おいでになる」「お越しになる」などを用いる。また、通常、学生とは丁寧語「です・ます」で話し、尊敬語や謙譲語はめったに使わない。したがって、私が学生に「来られますか」と尋ねるときは、可能の意味以外にあり得ない。
しかしながら、あり得ないと思っているのは私だけであり、学生にしてみれば「来られますか」は尊敬語であって、可能だなんて「あり得ない!」のだろう。それ以来、私は「来ることができますか」と言うようになった。ら抜き言葉とレル敬語が普及したために、正しい可能の言い方が使いづらくなってしまった。
「いる」のレル敬語?
「いる」のレル敬語は「いられる」だが、この形は受身と可能でしか使われていないようだ。ら抜き言葉使用者にとっての可能は「いれる」。
受身の例「夫が退職してから夫婦二人の時間が増えて初めのうちは楽しかったけど、こう毎日家にいられるとねえ、3食作らなくちゃいけないし、私が本を読んでるとすぐ話しかけてくるし」
可能の例「終電で帰ればいいから、あと1時間ぐらいは一緒にいられる」
「いる」のレル敬語「いられる」がほとんど使われていない理由を、私は寡聞にして知らない。使われている地域もあるとは思うが、レル敬語としては「おられる」を使う人のほうが多い。ただし、動詞「おる」は謙譲語であり、謙譲語に尊敬の助動詞「れる」をつけても本物の尊敬語にはならない。それでも「おられる」は尊敬語として、特に西日本では慣用となっている。
「お〜される」というレル敬語もどき
レル敬語もどきのもう一つの例が「お〜される」だ。「会いましたか」の尊敬の言い方は、ナル敬語の「お会いになりましたか」とレル敬語の「会われましたか」だが、近ごろ、といってもだいぶ前からよく聞くのが、「お会いされましたか」。すでに何度も指摘している「お会いになられましたか」という誤用(二重敬語)については、ここで繰り返さない。
「お会いされる」は、謙譲語「お会いする」の「する」をレル敬語の「される」にしたもので、謙譲語+レル敬語は尊敬語もどきであって尊敬語ではない。「する」の尊敬語は「なさる」だが、「お会いなさる」は尊敬語として少し古い感じはするけれど、通用する。「先生がお話しなさいます」「ご主人様がお帰りなさるまでこちらでお待ちいたします」「お控えなすっておくんなせえ」(「控えてください」の意味)などもその例だ。
レル敬語が広く使われるようになるにつれて、「お会いされる」のような、レル敬語の形をとった尊敬語の誤用が増えてきた。おそらく、尊敬語イコール「れる」といった思い込み、勘違いから生まれたものだろう。
「お〜される」が誤用だという指摘に対して、たとえば「お話しされる」(「お話される」という表記も見かける)の場合、「お話しなさる」の「なさる」を同じ尊敬語の「される」にしただけだ、これのどこが間違っているのかさっぱりわからない!と怒りだす人もいる。実を言うと、「お話(し)される」は「お会いされる」と違って、ある条件下では一概に誤用と言えないこともある。これについては、別に記事を立てて論じたほうがよさそうだ。
レル敬語の暴走?!
「あの方はすっかりお変わられました」というのを聞いた。ナル敬語「お変わりになりました」と、レル敬語「変わられました」がごっちゃになっている。話者が考えたのは、尊敬語の頭にはやはり「お」をつけたほうがいいだろう、語末は「れる」と相場が決まっている…といったところだろうか。スタート地点ではナル敬語を目指したものの、ゴール地点ではレル敬語になっている。その結果、おかしな「敬誤」になってしまった。
尊敬語としては主としてナル敬語を使用し、レル敬語は補助的に使うことにしておけば、「語末はレル!」などという思い込みから自由になることができるのではないだろうか。
レル敬語「やられる」?
「する」の尊敬語に関連して、井上史雄著『その敬語では恥をかく!』(PHPハンドブック、2007年)に次のような記述がある。
(引用始め)
「ゴルフをおやりになるんですか?」のような言い方。本来はふさわしくない敬語として、敬語指導書では非難される。とはいえ、「おやりに なる」はかなり使われている。Google検索では10万件近い。「する」を「やる」というのは、俗っぽい言い方で、敬語にはそぐわない。しかし最近は使われ方が違ってきたので、「お〜になる」を避けて、「やる」に「(ら)れる敬語」を付けるという手段も可能だが、「やられる」になる。常識的には受身の意味で、敬語ととる人はいないだろう。
(引用終わり)
この文章は「お粗末敬語」の中にあるもので、「する」の尊敬語として、「なさる」は○、「おやりに なる」は△となっている。「おやりに」のあとのスペースは原文ママ。
2024年現在、「なさる」より「される」が多く使われ、「おやりになる」もよく聞く。常識が変わってしまったのか、「やられる」を尊敬語として使う人も少なくない。おまけに、「おやりになられる」を敬意の度合いの高い尊敬語だと勘違いして使っている人もいる。
「やられる」は受身、という常識はわずか十数年で通用しなくなってしまったのか。日本人の日本語に対する感覚がおかしくなったのか。井上先生、どうしましょう?!