過剰敬語は日本人に似合わない

過剰敬語の例

(1) 二重敬語:「お召し上がりになる」「おっしゃられる」「ごらんになられる」「お亡くなりになられる」「お伺いする」など

「食べる・飲む」の尊敬語「召し上がる」をさらに尊敬の「お〜になる」の形にして、「お召し上がりになる」と言うもの。尊敬の助動詞「れる」のついた「召し上がられる」という二重敬語は、あまり聞かない。

「言う」の尊敬語「おっしゃる」にさらに尊敬の助動詞「れる」をつけて、「おっしゃられる」と言うもの。「お〜になる」の形にした「おおっしゃりになる」という二重敬語は、まだ聞かない。

「見る」の尊敬語「ごらんになる」の「なる」に尊敬の助動詞「れる」を足して、「ごらんになられる」と言うもの。

「死ぬ」の婉曲表現「亡くなる」の尊敬語は「お亡くなりになる」。それにさらに尊敬の助動詞「れる」を加えて、「お亡くなりになられる」と言うもの。

「聞く・問う・訪問する」の謙譲語「伺う」をさらに謙譲語「お〜する」の形にして、「お伺いする」と言うもの。

二重敬語を含む過剰敬語は誤用だが、二重敬語のうち、「お召し上がりになる」と「お伺いする」はすでに慣用となったということで、認められている。誰が認めたのか私は知らない。「赤信号、みんなで渡ればこわくない」のノリか。みんなで信号無視するのは実は怖いんだけど。

(2) 三重敬語:「お召し上がりになられる」

二重敬語「お召し上がりになる」の「なる」に尊敬の助動詞「れる」をつけて、「お召し上がりになられる」と言うもの。

(3) 謙譲語(二重敬語を含む)+「させていただく」:「お送りさせていただく」「お伺いさせていただく」「ご報告させていただく」など

「送る」の謙譲語「お送りする」の「する」を「させていただく」の形にして、「お送りさせていただく」と言うもの。
何らかの事情でどうしても「させていただく」を使わなければならない場合は、「送らせていただく」と言う。なお、謙譲語「お送りする」の「する」を丁重語「いたす」にした「お送りいたす」は正しい言い方であり、二重敬語ではない。

二重敬語「お伺いする」の「する」を「させていただく」の形にして、「お伺いさせていただく」と言うもの。
何らかの事情でどうしても「させていただく」を使わなければならない場合は、「伺わせていただく」と言う。

「報告する」の謙譲語「ご報告する」の「する」を「させていただく」の形にして、「ご報告させていただく」と言うもの。
何らかの事情でどうしても「させていただく」を使わなければならない場合は、「報告させていただく」と言う。なお、謙譲語「ご報告する」の「する」を丁重語「いたす」にした「ご報告いたす」は正しい言い方であり、二重敬語ではない。

(4) その他の過剰敬語

使わなくてもよい、または、使ってはいけないところで敬語を使って、聞き手・読み手を混乱させたり苦笑させたりするもの

実例その1
「いつかこういうことが起きるんじゃないかと思っていました。日本は安全だとはいえ…。ちなみに今回の事件は日本人じゃなくて、外国人の方だったんですけど」

話者は「外国人の方」と言っている。「方」は「人」の尊敬語だ。この言葉から、聞き手は「外国人が被害に遭った」と判断する。ところが実際はそうではなかった。この事件において、「外国人の方」は被害者ではなく、加害者だったのだ。加害者には普通、尊敬語を使わない。ことさらに貶めるような表現を使うことはないが、敬語は要らない。誤解を生むだけだ。「外国人だったんです」でいい。

ニュースを読み上げるアナウンサーが「犯人の方は44、5歳の男性で…」と言うのを聞いて、ひどく驚いたことがある。日本語はいつからこんなにばか丁寧になってしまったのか。「犯人の方」の「方」は要らない。「男性」も犯人には使いにくい。「男」でよい。「男」より「男の人」のほうが丁寧で、「男性」は上品な感じになる。

丁寧な言葉を使うことを否定はしないが、時と場合による。「外国人の方」と聞けば、何かよいことをした人の話かな、それとも、気の毒なことに事件や事故の犠牲になったのかな、と聞き手は想像するのだ。「外国人の方」は加害者になり得ない。過剰な尊敬語を使用することによって、真実が伝わりにくくなり、聞き手・読み手は困惑する。

実例その2
「自信を持ってお勧めします。多くの日本人の方々に読んでいただきたい本です」

「日本人の方々に読んでいただきたい」と敬語が使われているが、前後関係から、書き手が日本人であることがすでにわかっている。もしわかっていなければ、外国人が書いたと考えるのが普通だ。たとえば、日本について書いた外国人作家の本が邦訳され、日本語版に著者がメッセージを寄せるとしたら、「多くの日本人の方々に読んでいただきたい」となるだろう。

日本語の敬語のルールでは、身内を高めない。自分を含む集団は身内扱いする。したがって、敬語を使って立てることはしない。ビジネスシーンにおけるいろはの「い」だ。この文ではわざわざ低める必要もないから、日本人が書くのなら、「多くの日本人に読んでもらいたい本です」とすればよいだけだ。

変に敬語を使うと、誤解を与えかねない。A社の社員が取引先B社からの電話に答えて、「部長は先ほど、3時ごろお戻りになるとおっしゃってお出かけになりました」と言ったりしたら、その日A社を訪れているB社の部長のことかと思ってしまう。自分の上司のことであれば、「部長の山田はただいま外出しております。3時ごろ戻ると申しておりました」と言わなければならない。しつこいようだが、これはいろはの「い」だ。

実例その3
「太っているので、もっぱらロングジャケットを着用しています。短いジャケットでは、お尻が隠れてくださらないので」

これは、太めの中年女性がテレビのインタビューに答えて言ったものだ。「お尻が隠れてくださらない」は、誰に対して敬語を使っているのだろうか。敬語を使うのは人に対してなので、ジャケットでもお尻でもないのは明らかだ。テレビカメラの向こうの視聴者を意識して、丁寧に話すべきだと思ったのだろう。つまり、視聴者に対して敬語を使ったのだ。ただ、決定的な間違いは、ここで「くれる」の尊敬語「くださる」を使ったことだった。

言わずもがなとは思うが、「くださる」「くださらない」の使用例を示しておく。
「私たちに英語を教えてくださったのはA先生です」
「先生が一日も早くお元気になってくださらないと、私たちは寂しくてたまりません」

敬語を適切に用いることは、相手への配慮

日本人の美徳の一つに、相手に対する配慮がある。外国人訪日客が口をそろえて言う。ほんの一例を挙げれば、電車の吊り革の数が多い。電車によっては利用客の身長に配慮してか、いろいろな高さのものがぶら下がっている。バスの降車ボタンはこれでもかと言うぐらい多く、乗客がどこにいてもすぐに押せる場所にある。運転士は、乗ってきたお年寄りが座席に腰をおろすまで待ってから、バスを発車させる。「すばらしい! 私たちの国では、あり得ない」

敬語は、使うべきところでしっかり正しく使う。そして、相手に誤解を与えたり相手を困らせたりしないように、使う必要のないところ、使ってはいけないところでは使わない。これこそ、相手への配慮を重視する日本人の、言葉を使う上での配慮にほかならない。

作成者: マチルダ

マチルダこと野口恵子です。昭和27年(1952年)11月に愛知県瀬戸市で生まれ、東京で育ちました。現在は埼玉県在住。日本語とフランス語を教えています。著書に、『かなり気がかりな日本語』(集英社新書)、『バカ丁寧化する日本語』『失礼な敬語』『「ほぼほぼ」「いまいま」?! クイズおかしな日本語』(以上光文社新書)などがあります。このブログでは主として日本語の敬語について書いていますが、それ以外の話題に及ぶこともあります。どうぞよろしくお願いいたします。

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