相手の「日本誤」を指摘するのは難しい

テレビドラマの中での誤用訂正

日本のテレビドラマの中で、登場人物が相手の日本語の間違いを指摘するシーンはほとんどないのではないだろうか。見たドラマを忘れてしまっていることも多いので、確信は持てない。一度、「食べれない」と言う若者に「『食べられない』と言いなさい」と正す場面を見たことはある。

ほかに、いわゆる帰国子女の日本語の誤りを指摘するシーンを見たことがあるが、それは全く現実的でない間違いだったので、記憶に留めておこうという気にもならなかった。ありがちな間違いならば、メモしておくこともあるのだが。

覚えていないから、どんな間違いだったか言うことができないが、たとえば、「とりつく島もない」を「とりつく紐もない」と言うようなものだった。「とりつく暇もない」という間違いならあり得るが、「紐」はあり得ないと思った次第だ。突拍子もない誤用例を作りださなくても、人々が実際に使っている言葉を観察すれば、案外簡単に見つかるものだ。

外国のテレビドラマを見ていたとき、何度か誤用を指摘する場面に遭遇した。動詞の活用の間違いが多かったが、そのまま紹介しても意味がないので、日本語の誤用訂正に置き換えてみると、たとえば、上に書いた「食べれない」と言う人に対して「食べられない」と直すようなものだ。

ただし、私が見た訂正シーンはことごとく、直した人の徒労に終わっていた。相手が納得して自分の言葉を改めるまでに至らないのだ。ドラマだからそれでもかまわない。直された人が素直に「はい、わかりました」と反省するのもよいが、たとえそうでなくても、視聴者に注意を喚起することにはなる。

私が見た訂正場面を、日本語の訂正シーンに置き換えて書いてみよう。

A:事件が起きた前の晩なんですけどね。
B:起きる。
A:えっ、何ですか。
B:いや、何でもないです。気にしないで。

A:京都に初めて訪れたのは、いつだったかなあ。
B:京都を。「に」じゃないよ。
A:いいじゃない。みんな言ってるんだから。

A:では、私のご連絡先を申し上げます。
B:連絡先。
A:はい? 何とおっしゃいました?

A:お客様は弊社の会長にお会いしたことがあるそうですね。
B:お会いになった、ですね。
A:えっ?

A:お客様、クーポン券をお使いしますか。
B:お使いになりますか。
A:???(何、言ってんだ、この客…という顔をする)

ドラマの日本語の間違いを指摘したら

ドラマを見ていて登場人物の日本語の間違いを看過できず、テレビ局に手紙を出した知り合いがいる。「テレビは影響力の大きいメデイアだから、視聴者に誤った日本語を広めないようにしてください」という趣旨の手紙だ。

テレビ局が脚本家に問い合わせて、返事をよこしたそうだ。内容を短くまとめると、「そのような言葉を使う人物という設定だ。脚本家は、日本語として正しくないことを承知の上で、登場人物のセリフを書くことがある」というもの。

知り合いからそれを伝えられたが、私には脚本家の苦しい言い訳にしか聞こえなかった。間違っていることを知らなかったんじゃないですか。なんか、ごまかしてませんか。間違いを指摘されると、自分の日本語力に自信を持っている人ほど、自尊心が傷つくのだろう。

外国人日本語学習者への誤用訂正の方法

だいぶ前のことだが、日本語教員同士で話をしていたとき、「私なんて口先三寸で」と謙遜してみせたことがある。先輩教員が即座に、「舌先三寸はちょっとねえ」と応じた。私の「口先三寸」という間違いを直してくれたのだ。会話の中に正しい言い方を紛れ込ませることによって相手の間違いを正す方法だ。日本語教師になるための勉強をしていたころに習った誤用訂正法の一つだ。ほかにも次のようなものがある。

1. 「口先三寸」ではありません。「舌先三寸」です。(きっぱりと指摘し、正解をすぐに与える)
2. えっ、何と言いました?(聞こえなかったふりをする)
3. ん? ナニ三寸?(ナニの部分を直すよう、暗に促す)
4. く・ち・さ・き、ですか。(間違っている箇所を強調してみる)

日本語の教室では、すぐに正解を教えるのはあまり好ましくない訂正方法だとされている。学習者に自分で考えさせるために、2〜4の方法が推奨される。私の経験では、3と4は確かに効果がある。2は間違いを指摘されていることに気づかずに、大きな声で同じことを繰り返す学生もいる。「先生、耳が遠くなったんじゃないですか」という顔をして。

私がただ一度面と向かって指摘した「伺う」の使い方の間違い

私が日本語学習者以外にこのたぐいの指摘、つまり誤用訂正をしたのは、後にも先にも一度きりだ。ある放送局の地方事務所に手続きに行ったときのこと。事情を話すと、窓口の若い男性はいったん奥に引っ込み、再び現れて言った。「担当部局の者から伺ってきました」。私は思わず次のように言ってしまった。

あのう、「伺って」じゃなくて、「聞いて」ですね。「伺う」だと、担当部局の人、自分の側の人間を高めてしまうことになります。

私がこんなことを言ったのは、世間では、そのテレビ局のアナウンサーが正しい日本語を使うと信じられていたからだ。事務局員はアナウンサーではないと言われればそれまでだが、日本語で発信する日本の放送局である以上、全社員の「日本語教育」にも力を入れているに違いないと思っていた。外部の人間と全く接触しない職場は別として、普通、どんな会社でも敬語研修ぐらいしている。いわんや、お手本となる日本語を使っていることになっているこのテレビ局においてをや。

もっとも、いくつかの意味を持つ謙譲語「伺う」の使い方は少々複雑なので、若い事務職員の混乱も理解できなくはない。

○先生のお噂はかねがね伺っておりました。
×先生のお噂はかねがね娘から伺っておりました。

上は、誰から噂を聞いたかを問題にしておらず、「先生について聞いていた」と言って先生を高めている。下は、「娘から聞いていた」と言っている。この「伺う」は噂の出所の人物を高める。身内である娘だ。日本語の敬語では身内は立てないので、この場合、「娘から聞いておりました」と言わなければならない。

このとき以外にも、毎日のように、多くの誤用を目にし、耳にしているが、直すよう注意したことはない。教室以外でこういうことをするのはきわめて難しい。会話の流れを遮るのも気が引ける。一人一人が自らの日本語を見つめ直して、間違いに気づき、再び学んで、自分で直していくことを願うばかりだ。

作成者: マチルダ

マチルダこと野口恵子です。昭和27年(1952年)11月に愛知県瀬戸市で生まれ、東京で育ちました。現在は埼玉県在住。日本語とフランス語を教えています。著書に、『かなり気がかりな日本語』(集英社新書)、『バカ丁寧化する日本語』『失礼な敬語』『「ほぼほぼ」「いまいま」?! クイズおかしな日本語』(以上光文社新書)などがあります。このブログでは主として日本語の敬語について書いていますが、それ以外の話題に及ぶこともあります。どうぞよろしくお願いいたします。

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